| 出会いは偶然のように |
「確か、このあたりに……お、あったあった」 彼がお目当ての宿屋を見つけたのは、すでに月も中天にかかろうかという時間だった。 「今日は野宿しないですみそうだな……」 ここのところ、強行軍だったためロクに宿にも泊まらずに旅を続けてきたのだ。今日くらいは贅沢をしてもばちは当たら ないだろう。 夜風に揺れるランプが、宿屋の入り口を示している。彼は足早に扉の前に立つと、ゆっくりと扉を開けて宿屋に足を踏み 入れた。 「おや、いらっしゃい。お泊まりかね?」 カウンターで書き物をしていたらしい中年の男が、入ってきた彼を見て笑顔を向ける。 「ああ、部屋は空いてるかな?」 「空いてるともさ。まだ酒場も開いてるから食事も取れるが、どうするね?」 「それはありがたいな。昼間からずっと歩き通しで、ハラペコなんだ」 「それはご苦労なこった」 気の良さそうな男は、この宿の主人なのだろう。わざわざカウンターから出てくると、彼をすぐ横の酒場へと誘った。 「あら父さん、お客様?」 手にお盆を持って客の間を回っていた娘が、入ってきた二人を見て声を掛けてくる。 「まだ食べ物は残ってるかな?」 結構な賑わいを見せる酒場の様子に、彼はそう訪ねてみる。 半分は泊り客だろうが、雰囲気のよさが人を呼ぶのだろう。村人らしき者達も昼間の疲れを酒で癒しに来ているようだ。 娘はその言葉ににっこりと笑って頷いてみせた。 「ご心配なく。お客さんがお腹いっぱいになるくらいは残ってるわ」 「そいつはありがたい。食事と、エール酒を一杯頼むよ」 そう言って、主人が示してくれた空席に腰を下ろす。 「今日はちょっと混み合っているもんで、こんな席ですまないね。すぐに部屋の用意をするから、食事が終わったら二階の 一番奥の部屋を使っておくれ」 「ああ、ありがとう」 部屋の用意をするべく二階へ上がっていく主人にそう言って、彼は改めて椅子に座りなおすと、荷物を足元に降ろす。 そうして一息ついてから、彼は酒場を見回した。 テーブル席には村人らしき者達が何組か陣取っている。他にもここの泊り客らしい家族が一組、傭兵らしき男達が数人い るが、みなそれぞれ静かに食事をしたりおしゃべりを楽しんだりしているようだ。 彼の斜め後ろにある窓際のカウンター席には、村の若い者が数人と、旅人なのか一人の少女が座っている。若者達は 何やら自慢話に花が咲いているようだ。みるからに酒に酔っている彼らの声が、やかましく酒場に響いている。 その声に眉をしかめつつも、黙々と食事を取っている少女に彼は興味を覚えた。 (みたとこ、15、6ってとこか……?) 透き通るような白い肌に、雪のような白い髪。見まごう事なき美少女なのだが、どことなく近寄り難い雰囲気を醸し出して いる。 (ん……?色白で白い髪の少女……) 思わずまじまじと少女を見つめる。それを知ってか知らずか、少女はただ黙々と食べつづけている。 彼女が気になるのは、若者達も同じ事らしい。しかし、話し掛けるきっかけをつかめずにいるようだ。 「はーい、お待たせお客さん」 後ろから元気のよい声がかかる。振り返ると、お盆に食事とジョッキを乗せて娘が微笑んでいた。 「お、うまそうだな」 湯気を立てる料理の数々に目を輝かせる彼に、娘は料理を並べていく。 「たくさん食べてね」 手際よく皿を並べて立ち去ろうとする彼女を、彼は引きとめた。 「なあ、カウンターにいるあの女の子、ここの泊り客かい?」 小声で尋ねる彼に、娘は頷く。 「そうよ。昨日の夜中から泊まってるお客さん。なんでも、誰かを探して一人旅をしてるらしいの」 その言葉に、彼は思い当たる節があった。しかしそんな事は顔に出さず、さも心配げに 「女の子の一人旅なんて、危ないなあ」 と言ってみせる。 「そうよねえ。でも、腕には自信があるからって言ってたし……それじゃ、ごゆっくり」 厨房から声がかかり、娘は話を切り上げると足早に引き上げていった。 (腕に自信がある、か……) 確信は持てないが、どうやら彼女こそ、捜し求めていた相手のようだ。 この辺りを旅していると聞いていていたが、運良くここで出会えるとはまさに神のお導きというやつか。 (さて、どうしたもんか……) ひとまず食事にありつきながら、考えを巡らせる。ここでは人目もあることだし、彼女が席を立つのを待つか、それとも……。 「な、なあ、あんた」 おや?と声の方に目をやると、意を決した若者が一人、果敢にも彼女に声を掛けている。 「……」 食事をとる手を止めて、男の方を見る少女。 「さっきからずっと一人で、つまんなくないか?良かったら俺たちと一緒に……」 少女の冷ややかな視線に晒されて、若者が言葉を詰まらせる。 「……」 「だ、だからその……俺たちと……」 「断る」 涼やかな声が響いた。まさに鈴を転がすような声は、しかし怒りに満ちている。 「そ、そんなつれないこと言わないでさ……」 「うるさい」 一言で切って捨てる彼女に、思わず心の中で賞賛の拍手を送ってしまう。 しかし酒の入った若者達には、彼女の態度はひどく癇に障るものだったらしい。 「この……っ」 「なんだ、シエラじゃないか」 若者の一人が罵声を吐きかけたところを、横から遮る声があった。少女が訝しげに声の主を見上げる。 「まさかこんなところで会えるとはな。元気そうじゃないか」 笑顔で話し掛ける彼に、少女はふん、と鼻を鳴らす。 「おんしもな」 彼の意図するところが分かったのか、調子を合わせてくれた少女に感謝しつつ、彼はいかにも親しげに少女の肩に手を 回す。 「まあ、ここで会えたのも何かの縁、思い出話でもしようじゃないか。で……」 くるりと視線を回し、呆気に取られている若者達に向かって口調だけはやんわりと、 「あんたたち、こいつに何か用かい?あいにくとこいつは人見知りが激しいんでな、用件ならおれが代わって聞いてやろ うか?」 といってやる。しかしその瞳は、邪魔すんじゃないぞガキと言下に告げていた。 「い、いや、大したことじゃないよ……」 「そうそう、おれたちもそろそろ帰るか。な?」 「そうだな。そいじゃ……」 あたふたと去っていく若者達に、他の客の注文を取っていた娘が 「ちょっとー!あんた達、またツケなの!?」 と怒鳴っているが、彼らはそれに答えることなく走り去っていった。 その後姿を楽しそうに見送る彼の手が、乱暴に払いのけられる。 「いい加減、手を離さぬか!」 「いてて……」 払われた手をさすりながら、改めて少女に向かう。彼女はひどく憤慨した様子で、彼を睨みつけていた。 「……余計なお世話、だったか?」 「ああ、そうじゃ。あんな若造ら、わらわ一人であしらえたものを」 外見とは不釣合いな古風な言葉が、小さな唇から紡がれる。 「それはすまなかったな」 素直に謝る彼。ふんとそっぽを向く彼女だったが、ふと思い出したように彼に向き直った。 「そうじゃ。おんし、何故わらわの名を知っておる?」 先程、彼は「シエラ」と少女を呼んだ。宿の人間に聞いたわけでもないのに、彼女の名前を当ててみせたのだ。 訝しげな表情でねめつけてくる少女に、彼はああ、とうそぶいてみせる。 「当たってたか?適当に言ったんだが」 「適当に言って当たるほど、ありふれた名前かのう?」 勿論、そんな訳はない。彼は降参だとばかりに小さく息をつくと、他の客には聞こえないように声を潜めて 「……月の紋章の継承者、シエラ様とお見受けいたします」 その言葉に、少女が悠然と笑ってみせる。それは、年端も行かない少女が浮かべるには似つかわしくない笑み。 「……なるほど、わらわに用があって参ったというわけじゃな」 「ああ、その通りさ。色々教えてもらいたいことがあってね」 彼女こそは、真なる27の紋章の一つである「月の紋章」の継承者。そして、彼の貴重な情報源であった。 彼女と接触し情報を得るために、彼ははるばる旅を続けてきたのだ。 「で?おんしは何者じゃ」 シエラの誰何に、彼は優雅に一礼してみせた。 「おれはナッシュ。ナッシュ・ラトキエ。どうぞお見知りおきを」 ハルモニア神聖国特殊任務潜入員ナッシュ・ラトキエ。 癖のある金髪に緑の双眸、整った顔立ちはどこかの貴族のお坊ちゃまといった風情だが、身のこなしや鋭い眼光は、彼が ただの青年でないことを雄弁に物語っている。 しかしシエラは、気付いている上でわざとため息をついてみせた。 「ただのナンパ男かと思えば、訳ありとはのう」 「ナ、ナンパ男っておい……」 がっくりと肩を落とすナッシュ。しかしすぐに気を取り直して、彼女に向き合う。 「ここじゃ人目もある。部屋でゆっくり話さないか?」 「下心みえみえのお誘いじゃの。いたいけな少女と二人きりで、なにをするつもりじゃ?」 わざと意地悪い笑みを浮かべて言うシエラに、思いもよらずナッシュは焦る。 「お、おい……なんだよそれ。おれは……」 「やはりただのナンパ男であったか」 「違うって!おれはただ」 「ただ、なんじゃ?言ってみよ」 いつの間にか、周囲の視線が二人に集まっている。そのことにはっと気付いて、ナッシュは珍しく慌てて弁解しようと 口を開く。 「いやその……これは」 「これは?」 いつの間に来ていたのか、宿屋の娘がお盆を手にナッシュを見つめている。周りの客も興味津々といった様子で、ナッシュ の言葉を待っていた。 (勘弁してくれ……あんまり目立っちゃまずいってのに) ナッシュは腹を括ると、心底困った顔をしてみせる。 「おいシエラ、いくら一目見てお前だって分からなかったからって、そんなに怒る事ないだろう?許してくれよ」 「あら?お客さん知り合いだったの?」 宿屋の娘が驚いた声を出す。シエラが何か言い出す前に、ナッシュは先手を取って言葉を続けた。 「ああ、昔、近所に住んでたんだ。随分会ってなかったもんな、分からなくなって当たり前か」 親しげにシエラの頭をぽんぽんと叩くナッシュの様子に、周囲も納得したようだった。 「あれからどうしてたんだ?おれも随分色んなところに行ったりしたんだぜ。まあ、上にでも行ってゆっくり話そうじゃないか」 そう言ってシエラの背中を押すように、二階への階段へと向かうナッシュ。シエラは不満げな顔をしていたが、特に抵抗も せずにナッシュに押されるまま階段を上がっていった。 ナッシュに用意された部屋は、質素だが清潔な小部屋だった。ベッドと小机しかない狭い部屋だが、野宿に比べたら充分す ぎるほどに快適だ。 部屋に入った途端、勧めもしないのに一つしかない椅子にふんぞり返り、シエラは扉を後ろ手に閉めてほっと一息ついてい るナッシュに向かって 「まったく手加減というものを知らんのか?人の頭をスイカかなにかのように叩きおって……かよわい婦女子を何だと思って おる!」 などと、矢継ぎ早に容赦ない言葉を浴びせ掛ける。 「ま、まあまあ、落ち着いてくれよ」 (あんたが余計なこと言ったからだろうがっ!) などと心の中で呟きつつ、宥めに入るナッシュ。一通り文句を言い終えると、シエラはようやく口をつぐんでナッシュに向かい 合った。 「……で?わらわに用とは?」 やれやれ、とナッシュはベッドに腰掛け、おもむろに口を開いた。 「おれは、「真なる27の紋章」について調べている」 シエラが興味なさそうな顔でふん、と頷いてみせる。 「なんでも、このジョウストン都市同盟にそのうちの一つが現れたという情報があってね。それを追いかけるのがおれの任務 なんだが、真なる紋章については余りにも情報が少なくてね。色々探ってるうちに、あんたの情報が入ってきたと、そういうわ けさ」 真なる27の紋章。それは、つきつめればこの世界を構成する大いなる力。 それらのいくつかは所在が明らかになっているが、今だ半数以上が名称や所在、実態すら不明のままだ。 「なるほど。わらわは確かに、月の紋章を継承せしもの。しかし、今この手に紋章がないことくらい、調べはついているのだろ う?」 そう言ってシエラは、右手の甲をそっとナッシュに向ける。少女の細く白い手には、何も宿ってはいない。 「ああ、月の紋章を奪って逃げたものを追いかけて旅してることもな」 彼女の村より、村人の命の源ともいえる「月の紋章」を奪って逃走した男、忌まわしき名をネクロードと言う。 「しかし、あんたは長い時を紋章とともに生きてきた。真なる紋章について知っていることも多いんじゃないか?」 「まあ、な……」 深いため息をそっとついて、シエラは答える。そのため息の向こうに、彼女が生きてきた時間の長さが垣間見えたような気 がした。 「あんたが知っていることならなんでもいい。教えてくれないか?」 真摯な瞳で見つめてくるナッシュに、彼女はこそりと笑みを浮かべる。 「ただで、とは言わぬよな?」 「え?」 「わらわとて、ただで話をしてやるほどお人よしではないぞ」 「あ、ああ。そうだよな。情報料なら勿論払うさ」 情報を得るには金がかかる。任務に伴う出費なら後から請求してもらうことができるから、ナッシュは快く申し出た。 しかし、シエラはゆっくりと首を横に振る。 「それじゃあ、何が……」 何かとてつもなく嫌な予感がしたが、恐る恐る尋ねてみる。 シエラはゆっくりと椅子から立ち上がり、ベッドに腰掛けるナッシュに近づいていった。 「わらわは月の紋章を受け継ぎしもの。それが何を意味するか、知らぬわけではあるまい?」 そんな少女の横顔を、窓から差し込む月明かりが照らし、微笑む口元に光る牙をはっきりと浮かび上がらせる。 「!!!」 思わず後図さるナッシュだが、ベッドの向こうはすぐ壁だ。あっという間に逃げ場所を失ってしまう。 「お、おい……」 「このところ、まともな「食事」にありついていなかったことだしの……」 食事。それが何を意味するのか、ナッシュは分かってしまった。 (しまった……うっかりしてたぜ……) 彼女は闇に生きるもの。 彼女こそ、最初の吸血鬼。そして、吸血鬼の食事といえば……。 「おれの血なんか吸ったって、うまくないぞ!」 華奢な少女に壁際に追いつめられる、というのもはかなり情けない光景ではあるが、そんな事を言っていられない。 吸血鬼に血を吸われたものは、同じ宿命を辿る。すなわち、吸血鬼となって人の生き血を啜る羽目になるのだ。そればかり はごめんこうむりたい。 「お、おい……」 ベッドに片膝をついてナッシュに詰め寄ってくるシエラは、まるで獲物を前にして舌なめずりをしている猫のようだった。 「なに、ほんの少し味見をするだけじゃ」 「味見で吸血鬼にされてたまるかっ!」 そんな事を言っている間にも、すぐそばに彼女の顔が迫ってきている。 このままでは危ない。意を決して、間近に迫ってくる少女の肩を両手でつかみ、懇親の力を込めて押しやる。 「きゃっ……」 意外にも少女の体はあっさりとナッシュから離れていき、それどころか勢いがつき過ぎて床へと倒れこんでしまった。 「あ、すまない、つい……」 かわいらしい悲鳴を上げるシエラに、思わず謝るナッシュ。床にぺたんと座り込んだ格好でシエラはむくれてみせる。 「いたいけな少女を床に突き飛ばすとは、乱暴な男よの」 「なに言ってやがる!いたいけな少女が普通、男を押し倒して血を吸おうとするか!」 思わず怒鳴りつけるが、シエラはナッシュの抗議などどこ吹く風で、立ち上がってわざとらしくスカートの裾を払ってみせる。 「まったく、粗野な男は嫌われるぞえ?」 「やかましい!第一、さっきから少女、少女って、あんた800年以上生きてるはずじゃないか」 そう。情報では、この少女は月の紋章を受け継いだ16歳のころから年を取っていない。それが今から800年ほど前の話 だというのだ。 「何を言う。わらわは永遠の16歳じゃ」 澄ました顔で言ってのけるシエラに、ナッシュが思わず拳を震わせる。 「……この、妖怪オババが……!」 シエラのこめかみがひきつった音が、聞こえた気がした。 「……おんし、いま言うてはならぬことを……」 シエラの全身が淡い燐光に包まれていく。それが帯電によるものだと気付いたときには、もう遅かった。 「お、おい、ちょっと?」 「乙女の敵め!」 凄まじい音と光が部屋いっぱいに広がる。 次の瞬間、ベッド脇でぷすぷすと煙を上げるナッシュの姿があった。 「……言葉を選ぶという事を知らん輩に、くれてやる情報などないわ!とっとと消えうせるが良い!」 そう言い捨てて踵を返すシエラに、慌ててナッシュが立ち上がる。 「ちょっと待ってくれ!あんたから情報を得られないと困るんだ!」 子供のお使いではないのだ。情報を手に入れられませんでした、で済むものではない。 「そんなこと、わらわの知ったことではない。わらわとて急いでおるのじゃ、おんしに構っている暇などないわ」 冷たく言い放つシエラに、ナッシュは縋りつかんばかりの勢いで懇願する。 「それなら、荷物もちでもなんでもするから同行させてくれ!頼む!」 その言葉を聞いて、シエラがにんまりと笑みを浮かべたのを、その時深々と頭を下げていたナッシュは気づかなかった。 「おんしをお供に連れて行けと?」 言葉では嫌そうに言いながら、シエラの顔は笑っている。そんな事に気付いていないナッシュは、必死に懇願する。 「ああ、こきつかってくれて構わないから、その代わりに情報を……」 「……仕方ないのう」 その言葉にナッシュがばっと顔を上げる。 「言っておくが、わらわを怒らせるようなことをすれば……」 「分かってる分かってる。あの電撃は効き過ぎだ」 未だに痺れる両腕をなでながら、ナッシュは頷いてみせる。あんな電撃を何度も食らったら、いかなナッシュといえども身 が持たない。 「あ、その代わり、血は吸わないって約束してくれよ」 「別に、吸血鬼に血をすわれたからといって吸血鬼になるわけでもあるまいに、何を恐れる?」 その言葉に目を丸くするナッシュ。シエラはやれやれと肩をすくめた。 「違うのか?」 「吸血鬼にするには、吸血鬼自身が相手に血を与えなければならない。それをなさなければ、いつまでも人のままよ」 「そうだったのか……」 世間一般に知られている知識とは違っているが、当の吸血鬼本人が言っているのだから間違いはあるまい。 「わらわは月の紋章を長く宿していたおかげで、人の血を吸わずとも生きていける。しかし、それでも時折はごちそうにありつ きたいと思うのは、当然の願いであろう?」 「そりゃそうだろうが……」 どぎまぎしながらシエラの顔色を伺っているナッシュに、シエラは 「今は特に空腹なわけでもなし、おんしの血は吸わんでおこう」 と、意外なほどにあっさりと引き下がって、扉へと向かった。 「お、おい」 不安げなナッシュの声に、シエラは扉の方を向いたまま告げる。 「明日の出発は、そうよのう……夕暮れ時がよいな。日の光はちと、わらわにはきつい……」 ナッシュの表情がぱっと輝く。 「よし。明日から、よろしくたのむぜ。シエラ」 「ふん、途中で音を上げるでないぞ」 そう言いながらも、明日から始まる旅になぜか胸躍るシエラだった。 今までずっと、一人で旅をしてきた。別にそれが寂しいと思うこともなかったが、たまには連れのいる旅も悪くない。 (なかなか面白い男でもあることだしのう) 顔はさして好みでもないが、どこか惹かれるものがある。それは、シエラ相手に物怖じしない態度を取っていたからかも しれない。 彼女が月の紋章を継承するものと知って、態度を変えない者はそういない。大抵は恐怖のあまり逃げ出すか、命乞いを してくるものだ。彼女が何もしないのにも関わらず、月の紋章もちというだけで畏怖の対象となり、時には憎悪の対象ともな る。 しかしそれは、彼女の背負った宿命。長い時を生きてきた彼女にとっては、そんな事は慣れっこになっていた。 (それにしても妖怪オババとは……口の悪い輩じゃ) そんな言葉すら、面と向かって投げかけられたのは久しぶりだった。陰で言われるよりは余程いい。 「楽しい旅になりそうじゃの……」 「とんだ修羅場だったみたいね」 次の朝、遅い朝食を取りに降りてきたナッシュに、宿屋の娘が意味ありげな微笑みと共に話し掛けてくる。 「?なんのことだ?」 「夜、廊下まで響いてたわよ?味見がどうのとか、乱暴な男は嫌われるとか、叫んでたでしょ?」 ぎょっとするナッシュに、少女はくすくすと笑い転げる。 「痴話喧嘩なら他のお客さんに迷惑がかからないようにね」 話の詳しい内容までは聞こえていなかったのだろう。勘違いをされているようだが、本当のところを聞かれているよりは 余程マシだ。 「あ、ああ、すまない。気をつけるよ」 「大きな音がしたけど、まさか部屋の備品壊してないわよね?」 「う。」 シエラの放った電撃のせいで、ベッドや毛布、床の一部がほんのちょっと焦げているなどとは、口が裂けてもいえない。 「ああ、大丈夫さ」 出発の時間までに、なんとしてもごまかしておかないと、と心に決めるナッシュ。 (ちくしょう……なんでおれがこんな目に……) 「お客さん、口達者に見えるけど、本当はつい余計な事言っちゃうタイプでしょ?気をつけないと、大変よ?」 笑いながら忠告する宿屋の娘に、ナッシュはひきつった笑みを浮かべて、そうだなと頷いた。 そして始まった二人連れの旅。 何度もうっかり余計なことを言い、シエラの電撃を食らう男の姿が、目撃されたとかされなかったとか……。 -完- |
口は災いの元、という言葉はまさに彼のために……(^_^;) というより、元貴族のお坊ちゃまのわりには口が悪い気がするんですけど……。 そういう選択肢を私が選んでるだけか(笑) |
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