| もう一人の英雄 |
月明かりが照らす甲板に佇む小さな影に、ルシアはそっと笑みを浮かべた。 戦いの終わった夜。誰もが泥のような疲れに身を任せ、早々に休んでいるというのに、一人姿が見えなかった彼は、 案の定この場所に来ていた。 「……眠れないのかい?ぼうや」 静かに近づいていって、声をかける。彼はびっくりしたように振り返ったが、声の主がルシアと分かって息を吐いた。 「なんだ、ルシアさんですか。びっくりしたなあ」 柔らかい茶色の髪をかきながら、彼は人懐っこい顔をルシアに向けてくる。 「どうしたんですか?何か、ありました?」 この古城の主である彼は、どうにも心配性らしい。もっとも、彼に用がある人間は大抵、なにか問題事を抱えてやって くるのだから、これはもう習い性になっているのかもしれない。 ルシアはゆっくり首を横に振り、きょとんと見上げているトーマスの隣にやってくると、手すりにもたれかかった。 「いやね。ずっとバタバタしていて、ろくに話した事もなかっただろう?そう思ってね」 何しろ、出会ったのが戦いの最中。お互い人を束ねる立場であったこともあり、話をする時間などほとんどなかった。 「そうですね。ずっと、忙しかったですからね」 どこか嬉しそうなトーマスの顔。 戦いは終わった。しばらくは残務処理に忙殺されそうな二人だが、それでも、一つの戦いに終止符がついたことは、 喜ばしいことだ。 「そうだ。忙しくてお礼を言う暇もなかったんですよね」 トーマスの言葉にルシアが首を傾げる。 「お礼?」 「ええ。忙しい中、このビュッデヒュッケ城の買取と向こう二百年間の貸し出しを了承して下さって、本当にありがとう ございました。ルシアさんが承諾してくれなかったら、僕たちは今頃、どうなっていたことか……」 ああ、とルシアは笑みを浮かべる。 ビュッデヒュッケ城を、開放された場所にしたいというトーマスの願い。ゼクセン評議会と真っ向から対決することを 選んだ彼。それに成り行きから手を貸した、軍師のシーザー・シルバーバーグが、トーマスに残していった手紙。 そこに書かれていた打開策こそは、城をグラスランド側に売却し、その場所を借り受けて今まで通りの生活を行う事 だった。 「お礼を言われるほどのことじゃないさ。それに、お前さんがこの場所を守ってくれたおかげで、我々は腰を据えて 戦うことが出来た。礼を言うのはこっちの方さ」 それに、とルシアが瞼を伏せる。 「?」 「……母上のことは……すまなかった。謝罪してどうなるものでもないが……」 トーマスが、一瞬目を見開く。 「……ヒューゴ君から聞いたんですね?」 「ああ……お前さんの母上は、グラスランドの盗賊団に殺されたんだとね……」 それは勿論、ルシア率いるカラヤクランの者ではない。しかし、同じグラスランドに生きるものとして、カラヤの長と して、聞き流すわけには行かない話だった。 「ルシアさんが謝ることじゃありません。気にしないで下さい」 穏やかな表情で言うトーマス。その瞳には、怒りも憎しみも滾っていない。凪いだ湖面のように穏やかな双眸は、 ただまっすぐにルシアを見つめている。 「しかし……部族こそ違うとはいえ、同じグラスランドの……」 「母さんを殺したのは、確かにグラスランドの盗賊団でした。でも、それはルシアさんじゃないし、ヒューゴ君でもない でしょう?あなた方を恨んだり、憎んだりする理由なんてどこにもありません」 ルシアから視線を離し、夜空に目を向ける。 青白い月と、無数の星々。 例え地上にどんな悲しみが満ちていても、変わることなく輝き続ける、天の光。 人生など、この広大な空と大地の前ではちっぽけなものでしかない。 まして、生まれや種族など、どれほどの意味があろうものか。 「母さんはよく言ってました。人は、生まれや身分の前に、ただ一人の人なんだって。だから、僕は生まれてきたん だって」 どこの出身だとか、どういう職業だとか、そんな事は人の本質ではない。 だからこそ、身分違いの恋が生まれる。たった一夜の愛が生まれる。 だから。トーマスはルシアを、ヒューゴを、グラスランドの人間を。そして、父を。 恨まない。憎まない。嘆かない。 「そうか、お前さんは……」 ルシアは、ヒューゴから聞かされたトーマスの生い立ちを思い出す。 彼の父はゼクセン評議会のギルドマスターを務める人物。そして、母は無名諸国の人間だったという。トーマスは 無名諸国で生まれ、父の顔を知らぬまま成長した。そして、母が死に際に父の所在を教えたことから、彼はゼクセン にやってきたのだ。 そして、厄介払いされるようにビュッデヒュッケ城の城主に任命され、しまいには廃嫡裁判まで起こされたトーマス。 決して幸せとはいえない彼のこれまでの人生。それでも、彼は今、幸せであると言うだろう。 「……良い母上を持ったな。きっと、優しくて強い人だったのだろう」 ルシアの言葉に、嬉しそうに頷くトーマス。 「はい」 本来なら仇同士であるはずの二人が、笑顔を交わす。 それを成し得るのは、ルシアの強さ。そして、トーマスの強さ。 自分の居場所とかけがえない仲間を、自らの手で守りきった彼。 城に集う人々全てを、先入観なしで平等に見ることが出来た彼。 だからこそ、人々はここに集った。 彼の強さは、過去でも未来でもなく、今を見つめる力。 過ぎし日々に囚われず、移ろう明日に惑わされず、ただ今を生きようとする彼だからこそ。 人々はそこに、希望の光を見出したのだ。 「……お前こそが、真の英雄なのかもしれないね」 深く息をついて、ルシアは呟くように言う。 「え?」 「私は、15年前デュナン統一戦争に関わったことがある。その時、今はデュナンの英雄と呼ばれている少年にあった ことがあるのさ。 お前やヒューゴと変わらないくらいの、あどけない顔の少年だったよ。でも、人を惹きつけ、人を束ねていく力を持って いた。 今のお前は、あいつと同じ顔をしている」 仲間を守る為に、大切な家族を守る為に戦う。そんな純粋な想いが、やがてはあの地から戦いの炎を消した。 人々から英雄と称えられた少年は、統一戦争終了後まもなく出奔し、行方は分かっていないという。 英雄と呼ばれることよりも、ただ一人の少年であることを選んだのだと、ある歴史学者は語っている。または、戦い の中で決別した友と決着をつけに行ったのだとも、義姉と親友との三人で、きままな旅を続けているのだとも……。 「買い被り過ぎですよ。僕はただ、仲間を守りたかっただけです」 この謙虚さこそが、彼の彼たる所以であろう。ここまでの道程、彼が一度でも自分の立場に甘え、地位を振りかざし たりしていれば、今ここに炎の運び手は集うことなく、城はただ寂れていったはずだ。 「ヒューゴ君、いいえ、あの三人こそが真の英雄です」 真なる紋章を受け継いだ三人。この戦いの最中、三人の行き先はすれ違い、交差し、時にはぶつかり合って、やがて 一つの結末へと向かっていった。 彼らこそ、後世に語り継がれるであろう英雄たちであろう。 しかし、ルシアは肩をすくめて苦笑する。 「あとの二人はともかく、ヒューゴはまだまだ、英雄の器じゃない。それは本人もよく分かってることだろう」 自分の子供だからこそ、下手に過剰評価せず、ただありのままを受け止める。ルシアがよき長であり、よき母である のは、こういうところなのだろう。 「ヒューゴ君は、素直で優しい良い子だと思います。もっと自慢していいと思います」 大して年は変わらないくせに、そんな事を真面目に言ってくるトーマスが、どこか滑稽で、思わずルシアは笑って しまう。 「お前さんも、良い子だよ」 え?と目を丸くするトーマス。 「私がお前の母上なら、そう思うよ。強くて優しい、人を思いやれる心をもった、良い息子を持って幸せだと」 そう言って、ひょいとトーマスを胸に抱きしめる。 「わっ、な、なんですか??」 慌てるトーマスを問答無用でぎゅっと抱きしめて、ルシアはそっと祈りの言葉を紡ぎ出す。 「我が息子トーマスに、風と大地の精霊の加護あらんことを」 「ルシアさん……」 「カラヤでは、こうやって子供の無事を祈るのさ。お前さんの周りに、いつでも心地よい風が吹いていることを願おう。 私たちは明日、ここを発つ。元気でやるんだよ」 そう言って、くるりと踵を返すルシア。 月明かりに照らされた彼女の後姿に、今はない母の姿が重なって見えた。 「ありがとう……母さん……」 その言葉が、届いたかどうか。 夜風の吹く甲板で、トーマスはいつまでも、ようやく訪れた平穏な夜を噛みしめていた。 -完- |
トーマスは、やっぱり天魁星なんだな、と思います。 108星の集まった城を束ねているのは、三人の英雄ではなく彼でした。最初は「こんなひ弱な少年がぁ?」と 思ったりもしましたが、責任感の強さや家族(というか仲間と城)を守る為に戦いを決断するところは、さすが 城主という感じで、一気にほれましたね。 更に、例え短い付き合いだったとしても、城に来てくれた人はみんな大切な人だから、僕が守ってみせる!と さも当たり前のことのように言ってくれる彼(なにしろ、ササライまで守ると言い出したし)は、本当にかっこいいと 思いました。 彼に、炎の英雄を継がせたかったですよ、マジで。だってトーマス君、鍛えれば結構強いし。 |
| 広告 | 通販 花 | 無料 チャットレディ ブログ blog | |