| 心帰る場所 |
近づいてきた足音に気付かないふりをして、手にしたジョッキをあおる。 なみなみと注がれていたエール酒を残らず胃の中に収めたのは、この後起こるであろう揉め事で折角の酒を 無駄にしたくなかったから、というのが、なんとも情けない。 しかし、懐具合の寂しい現状では仕方のないことだ。なにしろ、仕事をなくし、あてもない旅をしているのだから。 (まったく、しつこい連中だ……。主を失ってなお、追ってくるとはな) ハルモニアを離れてすでに一月近く経っている。因縁の相手と決着をつけ、また逃げるように旅立った彼を追って 来る刺客には、そろそろうんざりしていた。 ようやく最近来なくなってほっとしていたところにこれである。どうせなら、珍しく奮発して宿に泊まっている時では なく、野宿をしているときに来てくれればよかったのだが。 (今更おれを消しにきたところで、どうにもならないっていうのにな) 戦いで傷ついた左肩は、今だ完治していない。しかし、気配も完全に消せないような刺客を相手するのには、右 手だけで充分だ。 空っぽになったジョッキをテーブルに置き、さり気なく足音の方向に視線を向ける。 その次の瞬間、彼は目を見開いて硬直した。 「……あいかわらずじゃな」 足音が止まり、聞きなれた尊大な声が響く。 「シエ、ラ……?」 自分の目が信じられないとばかりに目を擦るナッシュに、赤い瞳の少女は悠然と微笑んでみせた。 「ひさしぶりじゃのう、荷物もち」 がっくりと肩を落とすナッシュは、次の瞬間立ち上がって猛然と食って掛かる。 「シエラ!おまえ、よくも金髪のナンパ男だなんて触れ回りやがったな!」 きょとん、と小首を傾げるシエラ。少ししてぽん、と手を打ち、 「ああ、そういえばデュナン湖の本拠地でそんな事を言ったような気もするのう。まあ、事実じゃから問題ある まい?」 「大ありだ!」 憤慨するナッシュに、シエラは肩を竦めてみせる。 「過ぎてしまったことを言っても仕方あるまい?それとも、訂正して回るか?恥の上塗りになるだけじゃぞ」 確かに、今更シエラに文句を言ってもはじまらない。ナッシュは大きくため息をついて、再び椅子に腰を降ろ した。 シエラもその向かいに座り、給仕に飲み物を注文する。 「……で?始祖様におかれましては、どのようなご用件で?」 わざと畏まって尋ねてやると、シエラはふん、と鼻を鳴らして答えた。 「なあに、たまたま立ち寄った店に、見知った顔がいたまでよ。……声を掛けずに立ち去った方が良かった かの?」 ナッシュは苦笑して、降参だとばかりに首を横に振る。 「いいや……。あんたに覚えられていただけで、嬉しいよ。何しろ、用事が済んだらさっさと人を置いてとんずら しやがった血も涙もないオババだからな」 シエラの顔が引きつる。 「……おんし、その減らず口は治っていないようじゃの」 「事実を言ったまでだぜ?」 シエラの髪が、帯電してふわりと宙に浮き上がる。やばい、と身構えるナッシュに、 「お待たせしました」 と救いの手が差し伸べられた。給仕が先ほどシエラが注文したらしい飲み物やつまみをテーブルに並べる。 「助かった……」 息を吐くナッシュに、給仕が首を傾げる。ナッシュはなんでもない、と手を振って、給仕を下がらせた。 「ひとまずは、再会を祝して乾杯じゃ」 シエラがグラスにワインを注ぐ。その一つを持ち上げて、ナッシュは乾杯に応じた。 グラスがぶつかる乾いた音が響く。 「随分太っ腹だな。言っておくが、おれはここの宿賃と今日の酒代でほぼ一文なしだぜ?」 「なあに、いつぞやの礼じゃ。気にするでない」 珍しく素直に言うシエラに、ナッシュはどうしても裏に何かないかと勘繰ってしまう。 それを察したのかシエラは、むっとした顔をしてみせた。 「おんし、人の好意は素直に受け取るものじゃぞ」 「そいつはどうも」 ここのところ騙し合いばかりしてきたせいで、どうしても素直に物事を受け取れなくなっているようだ。 相手が一筋縄では行かない代表格であるシエラだからというのもあるが。 「……そういや、新同盟軍に参加してたんだって?」 話題を変えようと、以前、旅芸人のアイリ達に聞いた話をふってみる。シエラは肩をすくめて 「そんなつもりはなかったんじゃがな。ネクロードが関わっていたものじゃから、成り行きで手を貸しただけじゃ」 蒼き月の村より、月の紋章を奪って逃走した吸血鬼、ネクロード。 シエラは彼を追って、長い旅を続けていた。そして先のデュナン統一戦争に関わり、因縁に決着をつけた。 もっとも、ネクロードを討ち取ったのは彼女ではなく、ネクロードに故郷を滅ぼされた男だった。 長い年月を生きたシエラにとって、ネクロードを討ち取ることにさほどの執着はなかった。ただ、月の紋章だけ は取り戻さなければならなかった。これ以上、悲しき同朋を増やすことがないように。 「紋章、取り戻したのか」 シエラはそっと、右手をテーブルの上に載せる。その甲には、蒼い月が描かれていた。 懐かしそうにシエラは紋章をなでる。そこに宿るのは忌まわしき呪い。しかし、それだけではない。 「……それで、目的を果たしたあんたは村に帰るのか?」 「……いいや。しばらくはあてもなく旅を続けようと思っておる。なにせ、帰ったところで迎えてくれる者は誰一人 いないからの……」 シエラの旅の目的はネクロードから紋章を取り戻すだけではなかった。紋章の加護を失い、人の血を啜って 浅ましく生き長らえようとする勝手の同朋を葬り去ることもまた、彼女の目的だった。 以前、紋章の情報を得ようと接触してきたナッシュに同行を許したときも、彼女は自らの手で愛する男を消す べく旅をしていた。一人では少々てこずる相手だったが故に、ナッシュを利用したとも言える。 「そう、か……」 自分が利用されていたことに気付いていたナッシュだが、それを今更言うつもりもなかった。 「故郷ばかりが帰る場所でもあるまい。心休まる時、心帰る場所がありさえすれば……」 独り言のように呟くシエラを、ナッシュは静かに見つめていた。 「心、帰る場所か……」 自分にとっての心帰る場所は、どこなのだろう。考えてみる彼に、シエラはいつもの表情に戻って尋ねる。 「おんしは、また任務中か?」 ナッシュは首を横に振ってみせる。 「クビになってね。というより、とんずらしたと言う方が正しいかな?」 「おんしらしいことよの」 呆れた顔で言うシエラに、ナッシュもそうだなと答える。 「おんしこそ、家には戻らぬのか?妹が待っているのだろう?」 ナッシュの顔が一瞬曇る。しかし、すぐに飄々とした表情に戻ると、いつもの軽口を叩いた。 「……どうも愛想を尽かされたらしくてね。どの面下げて帰っていいのか分からないんだ」 妹の婚約者を二度も殺した。それが例え、相手が妹を利用していた男だとしても。 真実を話した、叔母であり幼馴染でもあるレナによって、恐らく全ての顛末は妹ユーリにも伝わっていること だろう。 だからといって、許されるわけでもない。許されたいわけでもない。 「……なるほど。何をやらかしたのかは知らぬが、難儀なことよ」 あえて深く聞いてこないシエラの態度が、今のナッシュにとってはありがたかった。 「ひとまず、ほとぼりが冷めるまではあてのない旅でもしようと思ってね」 その言葉を聞いて、シエラがにやりと笑みを浮かべたのを、ナッシュはしかと見てしまった。 「お、おいシエラ?」 「そうか、おんしもあてのない旅をの」 「お、おい……なんかいやな予感がするんだが気のせいか?」 「ちょうど、荷物持ちがいなくて難議しておったところじゃ」 「ちょっと待てよ、それって……」 「非常食は常に側においておかんとなあ」 「ひ、非常食だぁ?!」 「……冗談じゃ」 憮然とした顔のシエラに、ナッシュはほっと胸を撫で下ろす。 「勘弁してくれよ……」 一体何を持ち歩いているのか知らないが、シエラの荷物はやたらと多い。しかもやれ疲れただの日中は 動きたくないだの言って、結局シエラまで担がされる羽目になるのだ。拷問以外の何ものでもない。 「まあ、よい」 なにやら釈然としない顔ながらも、シエラはナッシュのグラスにワインを注いでやった。 「わらわが酌をしてやること、光栄に思うが良いぞ」 「はいはい、全くもって身に余る光栄でございます……」 相変わらずの口の利きように、シエラは苦笑を禁じえない。シエラが彼を置いていってから数ヶ月、何やら 色々あったようだが、彼は全くといっていいほど変わらない。良くも悪くも。 しばらく、無言でグラスを重ねる二人。 ナッシュもシエラも酒には強い方だが、今夜ばかりはナッシュの方が分が悪そうだった。 「……おんし、怪我をしておるのか」 かすかに香る血の匂いをシエラは敏感に感じ取る。酔いが回ってきたのか、眠そうな目をしたナッシュは、 ゆっくりと頷いた。 「ああ、ちょっとな……」 「……傷口が開いておるな。どうせろくな手当もしておらんのだろう?見せてみよ」 「こんなところで脱げっていうのか?おれだって、一応恥じらいってもんが……」 「ならばおんしの部屋へ行こうではないか」 有無を言わせずナッシュを引っ張って、シエラは二階への階段へと向かう。 「お、おいおい……なんだってんだ?」 「……これでよい」 手際よく傷口に包帯を巻き終えて、シエラは少々乱暴に左肩を叩いた。 「いでで……なにすんだよ」 文句を言いつつも嬉しそうなナッシュに、シエラは眉をひそめてみせる。 「なにをにやけておる?」 「いや……あんたが心配してくれるなんて、意外だっただけさ」 てっきり手当にかこつけて血を吸われるかと思っていた、などとは口が裂けても言えない。 「ふん……無駄に血を流しては勿体無いと思うただけじゃ」 人は壊れやすいガラス細工のようなもの。些細な傷が元で死に至る場合もある。 「そんなこといって、実はおれに惚……でっ!……」 包帯の上から爪を立てられて、ナッシュが減らず口を閉じる。 「思い上がるでない。おんしはわらわの好みではないと、前から言っておろう」 憮然とした表情で言うシエラに、ナッシュはやれやれと肩をすくめる。 手当のために引っぺがされた服をたぐり寄せるナッシュを、救急箱をしまい込みながらシエラはじっと見つめ ていた。 以前、ほんの少しだけ共に旅をした男。その頃から彼には、明るい表情の裏に秘めた影があった。 減らず口もへらへらした態度も、それを覆い隠すもの。 すべてを背負い、たった一人で運命と立ち向かうその姿に、シエラは共感するものがあったのかもしれない。 好みではないと言ってはいるが、シエラに剥き出しの心で触れてくる、世にも珍しい相手。 「……なあ、ナッシュ。故郷も時の彼方に消え、迎える者も失ったわらわにとって、心帰る場所は……」 そう言いながら振り返ると、寝台の上からは安らかな寝息が聞こえてきていた。 旅の疲れに酔いが重なったのか、服を着るのもそこそこに寝台に沈み込んでいるナッシュに、シエラは苦笑を 浮かべる。 「……相変わらずじゃな……」 そっと寝台に寄り、毛布を肩まで引き上げてやる。顔にかかった髪をそっと払ってやると、その手を掴まれた。 「ナッシュ?」 「……ユーリ……おれは……」 一瞬眉をひそめるシエラだったが、彼の妹がその名前だったことを思い出して表情を緩める。 「……おんしが、本当の意味でしがらみから解放されるのは、まだ先のようじゃな」 彼にはまだ肉親がいる。戻るべき場所も、いわなければならない言葉も残っている。 だが、今はそれを彼自身が許さない。望んでいない。 「……時の流れが解決してくれることもある。しばらくは、おんしの思うがまま生きるがよい。妹もそう望んで おるだろう」 そっと手を引き離し、シエラは眠るナッシュの額に唇を寄せた。 「……おんしが望むのなら、わらわと共に歩む道を示そうとも思ったが……」 まだまだ、彼にやるべき事が、そして決別すべき過去があるのなら。 いくらでも待とう。時は無限に存在するのだから。 「せいぜい、老け込む前に決断することじゃ……」 そう言って、そっと唇を離す。そしてくるりと踵を返すと、振り返ることなく扉の向こうへ消えていった。 彼女の静かな足音が完全に聞こえなくなってから、そっとナッシュが寝台から半身を起こした。 「シエラ……?」 半分ほど夢の中にいたナッシュが覚えているのは、やさしい手と、そっと額を掠めていった柔らかい感触。 なにか口走った気がするが、覚えていない。そしてシエラは去って行った。数ヶ月前と同じように。 「あんたはいつもそうだ。さよならも言わずに……」 別れの挨拶を交わしたら、辛くなるから。だから何も言わずに姿を消す。 彼の言葉を待たずに、いなくなってしまう。 だが、今はそれでいいのかもしれない。 「……今はまだ、あんたと一緒には行けないからな……」 まだ彼にはやるべきことが、なすべきことが残っている。どうやら今回の一件で色々な所に借りを作ってし まったようでもあるし、彼が完全に自由の身になるにはまだ時間がかかりそうだ。 「おれの帰る場所は、きっとあんたのところさ……その日まで、待っててくれ」 「で。まだなのかえ?」 呆れ顔のシエラに、三十を超えたナッシュはひたすらに頭を下げる。 「すまん!なんだか知らんが、次から次へと色んなことに巻き込まれて、気付いたらこの歳だし、まだ昔の借り やら色々……」 「……不幸な奴じゃのう……」 盛大にため息をつくシエラに、ナッシュはただただ平謝りすることしかできなかった。 とかなんとか……。 -完- |
究極の巻き込まれキャラ、とどなたかがナッシュを評していましたが、まさにその通り……。 運が悪いのにお人好しで、何事にも首を突っ込まずにいられないナッシュくんが、シエラさまと共に歩める日は くるんでしょうか?? 折角シリアスに書いてたのに、どうしてオチがついてしまったのか……(>_<) |
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